「今日は死ぬにはもってこいの日」

投稿日:2013年1月1日

「今日は死ぬにはもってこいの日」は、
有名なインディアンの言葉。

戦闘に行くときにあげる雄叫びであると同時に、
「ルーツ」を持って、生まれ落ちた大地とともに生きる幸福感が、
「いつ死んでもかまわない」という覚悟を持たせて、
このような言葉となっているんだそうです。

さて、
あなたは「今日死んでもよいですか?」と問われたら、
どんな返答をしますか?

誇りあるインディアンのように応えることができる人は希でしょう。
多くの人は、
「いやいやとんでもない!嫌ですよ」
「いや~とりあえず今死ぬのは嫌、だよなあ。。。」
と思うのではないでしょうか。

では、今死にたくないのだとすれば、それはなぜなんでしょうか。
それはおそらく、まだやりたいこと、やらなければいけないと思っていること、
があるからなのではないでしょうか。

実は、人は「死」を意識することで、人生にポジティブな意味を持たせることが出来ます。
スティーブジョブズも、有名なスタンフォードでのスピーチで、「死を意識することで人生にポジティブに過ごす意味を持たせることができる」と述べていますね。

【「死」について語るジョブズ】

「自分は今日にでも死ぬかもしれない存在である」(これは紛れもない事実)ということを意識することで、実は人は元気になります。
開き直りが人から不安を消し去り、人に気力を与えて人生を充実させることができるわけです。

人間、アラフォー世代・中年と呼ばれる年齢になると、否応なしに「死」について考えざるを得なくなります。
両親が高齢となり、亡くなってしまったり、友人や知人が癌や心不全で亡くなる、という話がちらほら出始めるのがこの頃。

私自身も、直接のクライアントであり友人でもあった方(38歳という若さで)を最近亡くしてしまいましたし、両親が75歳を超える高齢となり介護に関わるようになって、いろいろな意味で「自分の人生の終結の仕方」について考えるようになりました。

多くの人の不安のひとつに、

「老後の不安」

というものがあると思います。

自分が老いたときにお金がなかったら心配、という不安は誰にでもあるでしょう。

しかし実は、私が老いた両親に深く関わるようになったことで得た、
一番の気付きは、

「老人になったら健康問題以外、お金はかからない」

という明確な事実です。

体力がないから外出しない。旅行もしない。遊ばない(というかできない)。
食欲もそんなにないから粗食で十分。
性欲ももちろんないし、着る服もなんでもOK。
車は視力や判断能力が落ちているので危なくて乗れない。
仕事や事業なんてもちろん考えることすらない。
もちろん子どもはしっかり成人しているから養育義務からも解放されている。

人間としての「欲求」および「支払い義務」が著しく減退するので、お金はなくても困らないんです。
しいて欲求といえば、「孫の顔が見たい」「息子娘の成長を見守りたい」ということくらいでしょうか。

要するに、「老後にお金をたくさん残しても意味がない」わけなんですね。

別に老後にたくさんのお金や資産を残さなくても大丈夫、
と考えると、なにか安心しませんか。

あと心配なのは健康問題で、病気になったら(というか確実に老いれば病気にはなる)、その治療費はかなりかかりますね。
重病ならなおさらです。

これも考え方次第で、例えば、
「自分が平均寿命ほどに老いたら、病気になって治療でつらい思いをしてお金をかけて生きるより、治療を拒否してすっぱり死ぬ」
という考え方があります。

ベストセラーとなった「どうせ死ぬならがんがいい」という本では、
「食道癌の治療を拒否して、3週間食べ物をたべなかったら安らかに衰弱死した」という例をあげています。
健康な状態では、飲まず食わずの飢餓感はつらいですが、老いて衰弱したら食欲ものどの渇きもなくなる。そういう状態を受け入れたら自然に安らかに死ねると。

野生の老いた象は、自分の死を受け入れることを決意すると、自ら食べることをやめます。
食べるのをやめた象は、わずか1日で死にいたってしまう。
そしてその死は、静かで平和な死なんだそうです。

この考え方には賛否両論がありますから、私の考えを押しつけるつもりはありません。
ただ、私自身はもう、「自分の人生の仕舞い方は自分で決めたい」とはっきり決めています。

意識がなくなったり呆けて判断能力がなくなった状態で、
あるいはいつ死ねるかわからない植物人間状態のまま、
医者や家族に生かされるような人生は送りたくないわけです。

自分が老いて死にかけているときにお金もかかる治療を自分で拒否して、
死を受け入れてしまえば、
そもそも老後の資金なんていらない、ということになるわけです。

こう考えれば、
自分の残りの人生は、老後のために資金をつくることではなく、
何をすべきかがだんだんわかってくるのではないでしょうか。

それでは、
野生の象のように「自分が死ぬべきポイントを自分で決める」という誇りある生き方をするにはどうすればよいのでしょうか。

それはやはり「悔いのない人生を送る」ということだと思います。

老いた自分が、「今日死んでもよい」と考えることができるように、
インディアンのように「今日は死ぬにはもってこいの日だ」と考えられるように、
幸福な人生を歩むことが、すべての鍵なのではないでしょうか。

「悔いのない人生を送る」というのは、「やりたいと思ったことをやっておく」ということと同時に、「自分の能力で貢献できる責任を社会に果たす」ということでもあると思います。
ここで、一つ前の記事、「人生の幸福を手に入れるにはどうしたらよいか」というテーマにリンクします。

人間は自分の欲求を満たすだけでは幸福にはなれません。
欲求の充足はすぐに飽きるためです。

人は自分の持つ能力を発揮し、他人に役立つことで充実感を得られる。
「自己の欲求解消」と「他者への貢献によって責任を果たす達成感」。
この両立こそが、「いい人生だった。いつでも自分の人生を終わりにしていい」と言いながら死にゆくことができる鍵であると、私は考えています。

なにもジョブズのように豪快で驚天動地の成果を出す必要はありません。
だけど、「やり残し」があって「ああすればよかった」と後悔する人生は、やはり送りたくはないですね。

自分の死に際をどのようにするかをはっきりと決めることで、
人は自分の人生を豊かにすることができます。

後悔しない人生を送るためにも、
こういったフレームワークを見てみるのも効果的です。↓

エチカの鏡でも紹介された「死ぬときに後悔すること25」まとめ

そのために残り10年、20年なにをすればよいのか。
逆算して来年なにをすべきか。
この年始休みに考えてみてはいかがでしょうか。

※日本では、「自分で自分の死に際を決める権利」、つまり尊厳死は認められていません。
下記の書籍を読むことで、より深く「死」について探求できるでしょう。
もちろん倫理的には、人に安易に死を選択させてはいけないというのも事実ですから、この問題はとてもむずかしいものであることがわかります。
難しさから逃げずに、安易に判断せず、「探求」されることをおすすめします。

※「どうせ死ぬならがんがいい」で出てくるこの言葉には、なかなかはっとさせられるものがあります。
「私たち人間はみな、致死率100%の未決の死刑囚である」

ちなみに、昨年は、「終活」という言葉がプチブレイクしました。

※Google終活キーワード検索結果

終活とは、自分の人生の最後を考える活動、という意味だそうな。

キーワード ローカル月間検索ボリューム(日本)
終活 1,900

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  • キーワードマーケティング研究所 代表取締役。検索キーワード広告(PPC、リスティング広告)の研究、実践、教育をしています。会社の方では運用代行など。
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